大陽寺と三峯社に関する伝え(5)私考
大陽寺と畠山重忠にまつわる話に触れたが
史実に基づくものではない。
第一にまず、時系列が正確でない。
だが重忠伝説は奥多摩・奥武蔵に
広く多様に残されてきた。
たとえ時代をすり替えても
ある時点でまた
反芻し、反復する
そのような歴史の地下水脈を
掘り当てる様な‥‥
大陽寺と三峯社に関する伝え(5)私考
大陽寺と畠山重忠にまつわる話に触れたが
史実に基づくものではない。
第一にまず、時系列が正確でない。
だが重忠伝説は奥多摩・奥武蔵に
広く多様に残されてきた。
たとえ時代をすり替えても
ある時点でまた
反芻し、反復する
そのような歴史の地下水脈を
掘り当てる様な‥‥
大血川域からも考えてみたい
現地図上には、
記載されてないが
大滝村誌(該当文書)では
“大血川山
所在 村ノ南部
形状孤立シテ
南ハ白岩山ニ連リ
西ハ大研山ニ接シ
北ハ大血川ヲ巡リ
東ハ同郡日野山二連ナリ
高サ三百丈 ”
なる山があり
三百丈≒909m であるから
地図と記載から考えられる位置は
907mのピーク地点である。
大陽寺と三峯社に関する伝え(2)
『新(武蔵風土)記』の大陽寺伝
そこに(1)で示した寺沢の由来がある。
https://oochigawa-report.blogspot.com/2026/03/9.html?m=1
のエピソードには続きがあり
それと併せて要約すると
(髭僧)大師の前にある日現れた
蛇身の異形は
みずから秩父妙見宮と名乗る
大陽寺と三峯社に関する伝え(1)
神仏習合の時代
特に三峯権限と呼ばれた頃の名残
大血川大日向山〜霧藻ヶ峰へ通ず
地蔵峠には
大陽寺道指導標があり
地蔵石が残されてる。
地蔵体にかかる赤布には
「左大日向山 天保十三年、願主平蔵」とあったという。
大日向山(大陽寺方)のみ
表記されているのは、
単純に登山者の数によるものだっただろうか?
両者(=大陽寺と三峯社)に
何か連関はあるのだろうか。
現三峯神社内に御井神社があるが
![]() |
| 御井神社 |
・白岩山(1921m)は
「後白岩」とか「向ゥ白岩」と云われる。
これには、
①現 妙法ヶ岳が白岩山と呼ばれていた(前述)伝えに対する
“後ろの” “向こうの” 白岩という意
②大血川 西谷支沢 白岩谷(=ワレイワ沢)からの由来
白岩谷の頭→白岩山
とがある。
また
風土記稿
三峯山にまつわる
「山名ノ起リハ、雲採・白石・妙法ヶ嶽ノ三ツハ最モ高ク聳ヘタル峰ナレバトテ、即チコノ山ヲ称シテ三峯山トヨベリ」
との記載から想像される
ひとまとめの山容とは異なり、
三山間には隔たりがあり
稜線上、いくつもの隆起もある。
そこにある種の作為性を見出すのが
原 全教の考えである
原全教→https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E5%85%A8%E6%95%99