2026-04-23

“世にも奇妙な” 大血川 17


大陽寺と三峯社に関する伝え(1)



神仏習合の時代

特に三峯権限と呼ばれた頃の名残


大血川大日向山〜霧藻ヶ峰へ通ず

地蔵峠には

大陽寺道指導標があり

地蔵石が残されてる。


地蔵体にかかる赤布には

「左大日向山 天保十三年、願主平蔵」とあったという。


大日向山(大陽寺方)のみ

表記されているのは、

単純に登山者の数によるものだっただろうか?



両者(=大陽寺と三峯社)に

何か連関はあるのだろうか。



現三峯神社内に御井神社があるが



御井神社



『三峰大観』によれば、


「鐘楼前面の小径を東北に進み、

檜杉の晝(昼)

尚ほ暗き杜下坂を下ること

約四丁にして、御井神社がある


祠は石上に安置され、

明治十五年に再建された


祭神は水速女命にて、

祠前に貯水場がある明治十七年

水上蒸気汽缶を設備し、

二百五十余間の水道鉄管を利用し、

社務所に輸送して


日常の飲用、炊爨雑用に供したが、


冬秋の候となれば

鉄管が氷結して用をなさないので、

人夫の肩に依って

運び上げて居った」



…いつの時代も変わらぬ

奥秩父域らしい厳寒期の様相である。



また、


“ この山に乏しきものは井水にて、

南澗に下ること八町ばかりにして


清水あれば、丁夫八九人をして、

朝より夕にいたるまで負担せしめたり、

仁王門の前、古池と云へる所あり、

往古はここに水ありしを


山の神 大日向の髭僧大師 に盟ひて

貽りたまひしより、

涸れたるよしを云傳へり。”


とある。



つまり実際に明治初期には

運搬役を要したほどであり


元来、三峰社に水が乏しきは

太古に神が沢を大陽寺に

譲り渡したからだと述べる。



この伝えは、

大陽寺側にも残されている。



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往時大陽寺の参拝客が非常に多く賑わった。


他方、三峯山はまことに少なく


あるとき三峯神が

大陽寺に水を与えてやるから、

御客をよこせと申し込んだという。


その後、参拝者は

まったく三峯山に移ったのだそうな。


(三峯山随神門より東南にある

大池の水であり、その跡凹地として残されている)


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この両神々の

忖度交渉事は


字義文脈のとおり

水源確保をめぐる伝説か


またあるいは‥‥


(井戸水に象徴されうる)

女人をめぐるものであったか



それは、ご想像にお任せしたい。