2026-05-10

“世にも奇妙な” 大血川 21


大陽寺と三峯社に関する伝え(5)私考


(2)において、

大陽寺と畠山重忠にまつわる話に触れたが


史実に基づくものではない。



第一にまず、時系列が正確でない。



だが重忠伝説は奥多摩・奥武蔵に

広く多様に残されてきた。



たとえ時代をすり替えても

ある時点でまた

反芻し、反復する


そのような歴史の地下水脈を

掘り当てる様な‥‥







周知のように、

重忠は秩父氏(坂東八平氏の一つ)の一族であり、

妙見信仰と密接である



その背後に示唆されるは

武将の性格のみならず

製鉄民(砂鉄工)の側面であり、


しばしば彼らにまつわるものは

竜・蛇を信仰のシンボルとする



寺との伝説やエピソードは、

まるで実際とは異なるが

其れら要素が落とし込まれた物語として

考えられる。



この考えをさらにすすめば、

修験道山伏らの原型は

製鉄の宝の山を探す者らであった可能性がある。



特に磁鉄鉱(の風化した砂鉄)は、

製鉄の原材料になりうる。



大滝域には、

元来「大」と付く地名が多数あるが

(ex.大洞、大輪、大達原、大林、大血川)



【砂鉄を示す(丹青)】

→アオ→→オホ→→オオ  

と変換していった名残かもしれない。


それら産鉄族が入り込んだ

地であることを示し







その先導役がいわゆる

三峰社伝でいうイヌ族“白狼”で



荒川を下る際に、

これと抗争をまじえたのが

猪ノ鼻地名伝承とも考えうる。



(そのような産鉄族と現地民との争いには

鬼人、巨人伝説が残されやすい。


また巣場区 聖岩 も

彼らにまつわる地名であろうか)



しかし、

古墳築造および大土木工といった

新しい文明が徐々に拓かれていけば

旧技術は置いていかれる



そこで、

山間部で山頂にたいして信仰を持ち

密教や呪術を形成し、

祈祷薬法など用いて民衆に溶け込む形で

崇められる対象となっていく



修験の起源であり

当然ながら身の処し方が時流世間に乗り切れなかった

日陰者や忍びの様な者らも一定数この地に居たはずである‥







大陽寺の正確な創建は不明ながら

平安 将門乱以前とすれば

当初は真言宗体系であったはずだ



三峰山 興雲寺(=明治以降、三峰神社と正式改名)の

威勢に押された形での

平安末期の一旦廃寺であり


その後、

鎌倉末期になり髭僧大師による

臨済寺院として改めて定められたが

現在の姿であろう。



修験山伏らによる

製鉄の向きと妙見信仰が合わさり

真言宗ひいては密教、山岳信仰と結びつき、


やがて中央集権的な経済へ展開する流れを

示しているようにおもふ。