大陽寺と三峯社に関する伝え(4)
大血川域からも考えてみたい
現地図上には、
記載されてないが
大滝村誌(該当文書)では
“大血川山
所在 村ノ南部
形状孤立シテ
南ハ白岩山ニ連リ
西ハ大研山ニ接シ
北ハ大血川ヲ巡リ
東ハ同郡日野山二連ナリ
高サ三百丈 ”
なる山があり
三百丈≒909m であるから
地図と記載から考えられる位置は
907mのピーク地点である。
大血川域からも考えてみたい
現地図上には、
記載されてないが
大滝村誌(該当文書)では
“大血川山
所在 村ノ南部
形状孤立シテ
南ハ白岩山ニ連リ
西ハ大研山ニ接シ
北ハ大血川ヲ巡リ
東ハ同郡日野山二連ナリ
高サ三百丈 ”
なる山があり
三百丈≒909m であるから
地図と記載から考えられる位置は
907mのピーク地点である。
大陽寺と三峯社に関する伝え(2)
『新(武蔵風土)記』の大陽寺伝
そこに(1)で示した寺沢の由来がある。
https://oochigawa-report.blogspot.com/2026/03/9.html?m=1
のエピソードには続きがあり
それと併せて要約すると
(髭僧)大師の前にある日現れた
蛇身の異形は
みずから秩父妙見宮と名乗る
大陽寺と三峯社に関する伝え(1)
神仏習合の時代
特に三峯権限と呼ばれた頃の名残
大血川大日向山〜霧藻ヶ峰へ通ず
地蔵峠には
大陽寺道指導標があり
地蔵石が残されてる。
地蔵体にかかる赤布には
「左大日向山 天保十三年、願主平蔵」とあったという。
大日向山(大陽寺方)のみ
表記されているのは、
単純に登山者の数によるものだっただろうか?
両者(=大陽寺と三峯社)に
何か連関はあるのだろうか。
現三峯神社内に御井神社があるが
![]() |
| 御井神社 |
・白岩山(1921m)は
「後白岩」とか「向ゥ白岩」と云われる。
これには、
①現 妙法ヶ岳が白岩山と呼ばれていた(前述)伝えに対する
“後ろの” “向こうの” 白岩という意
②大血川 西谷支沢 白岩谷(=ワレイワ沢)からの由来
白岩谷の頭→白岩山
とがある。
また
風土記稿
三峯山にまつわる
「山名ノ起リハ、雲採・白石・妙法ヶ嶽ノ三ツハ最モ高ク聳ヘタル峰ナレバトテ、即チコノ山ヲ称シテ三峯山トヨベリ」
との記載から想像される
ひとまとめの山容とは異なり、
三山間には隔たりがあり
稜線上、いくつもの隆起もある。
そこにある種の作為性を見出すのが
原 全教の考えである
原全教→https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E5%85%A8%E6%95%99
狭い谷間に生まれ、育ち、
そこで生涯を閉じるような生き方をすると
(良し悪しあろうが)
多かれ少なかれ、
郷土意識に染まる
むしろ、自分を為す
生活世界の骨格が
郷土に張り付いた自己しかいない
その土着意識は、
“けっして離れまい”という
堅き意思か
“離れたくとも離れがたい”
宿命であるか
いずれであるかもわからない。
◯◯記念日というような
御上から与えられる祝祭ではない
常民の原信仰の姿ともいえる