2026-03-05

“世にも奇妙な” 大血川 5


便宜的に話を一般化したい。



史実は、

この地方に伝わる数々説話と

全く異なる。


大血川谷の“将門岩”


たとえば、将門公の最期の地は

茨城 岩井辺りであろう。


しかし、なぜ伝説は


彼を最終的に城峯山まで逃がし


広く行き渡らせたのか?



これらの土着信仰は


山岳修験者が持ち込んだ諸文化に


共感した秩父人のしるしであろうか‥

 




戦乱の残党もこの地に

多く入り混じったことだろう



(仮に)源氏を平氏と称し、


あるいは足利と称えても、


底流するものはおなじ



“頼りにする”という口実で

山をよく知る修験道の存在があった



天狗に鼻先が伸びるが如く


山中の苦行と禁欲性に耐えたのち


自然の霊的存在に近づくことができる


〈験力〉をもつ者として‥



祈祷、説法、祭文語り、神楽

浪曲、娯楽

薬草、薬品

版木、護符

寺子屋(読み書き、行儀作法)


…等



村とむらびとの

災いや迷いを


祓う役割が居たのだろう


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谷があれば


水脈に沿い


集落ができ


やがて村落が現れる


その水源地まで見上げると


山の頂きがあり

そこに鎮守(社)を構える。




たとえば伝説上


互いにこの地方でせめぎ合ったとされる



城峯神社の平将門も

椋神社の藤原秀郷も



山の鎮守(社)をめぐる

抗争のしるし

だったのかもしれない…