土地によって
流布が
多種多様なのはなぜか
この流域一帯には、
(先述の桔梗をめぐり)
聯妃の滞在した跡だという
大達原 「塚八幡社」
また同地域
49人の妃を祀った「四十九前の宮」
さらに川を下り
小鹿野町域の「十二御前社」
栃谷村字立石の「御前社」‥‥etc.
上流へ遡るにつれ、
奇妙にも祀られる数が
増えていくは
伝播の跡だろうか
これには中世初期から
修験道、修験比丘尼(女)といった
山岳信仰者らの往来が
盛んだったことから、
説法唱導によるもの
とも考えられる。
このような漂泊者が
秩父山塊の山並の明暗に
みずからの内なる痛みを重ね
屈折し入り組んだ情念を、
伝承に乗せたのではなかろうか。
生はさまよいであり
(誰にもやがていつか訪れる死の日までの)
持続的な抵抗
あるいは、回り道であろう
その循環運動は、
《 dérive 漂流 》である
‥‥‥大血川のように、
東の方(都方面側)から西方を流れる川を
“逆さ川”と云う。
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| 大滝域の逆さ川 |
このような古戦場のなごり
あるいは、敗亡の命
桔梗の悲劇と将門の勇敢を
称えるに
曰く付きな土地として
霊を慰むに
格好の地であったのかもしれない



