2026-03-11

“世にも奇妙な” 大血川 8


秩父各地の
習俗の原型は以下であろう。


①部落・村落の山を差し

②男女の隔てなく

③飲食し、声(音)を発する

④元日 春・秋の二期性をとる







‥‥さて、大血川集落から


山道を上ると、大陽寺へ着く



『新編武蔵風土記』より 大陽寺の図




江戸期(文化〜天保)において


十返舎一九『秩父順礼道中記』(※)に

大陽寺について記される



“ひげそう”とは、髭僧大師をさし‥‥



十返舎一九『秩父順礼道中記』より



さかのぼること鎌倉末期に


この開基は、


日原より峠を越え


ここに辿り着いたそうな。






大陽寺 髭僧大師




後年、江戸町民にも馴染んだ


“髭僧寺”とは


修験の霊山三峯に隣り合う


大日向山 大陽禅寺のことである。



※上記、

『東海道中膝栗毛』を記した

十返舎一九による秩父珍道中記であり


この中の一節に、

大陽寺まで登る道での二人の掛け合いがある。



“さてさて、

この坂にはとんだ骨が折れる。

ここへあがらずとも

麓で拝んでおくべきだった。

そうすれば賽銭もいらない”



“いや、おまえさんは

どこへ行っても

賽銭あげたことすらなく

どうかすると箱のそとに

散らばってる銭を拾って、

勿体ないと箱に戻すフリをしながら、

袂にでも入れそうな漢だよ”



(このあと二人は、

札所一番から観音霊場をまわり

三十番法雲寺を参拝したあと、

荒川をのぼり、

大陽寺と三峯神社を回り、

小鹿野三十一番観音院へ巡る)





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また、これより古くは

修験派である役小角派は


秩父郡・比企郡の先達であるとして



毎年 四月十二日に

慈光三峯および秩父山(=武甲・両神・三峯)の


峯続きを苦修練行し


その後、六月に富士山に登り

七箇日夜修業し、慈光へ戻る


古来一体の修験霊地のルートが

観光巡礼案内として

紹介されている。




『秩父記行』にもあるように


大陽寺は、

“東女中高野”の寺であり


寺までの道は「比丘尼街道」


という地元の別称もあり



三峯修験の山伏らの伴侶である


女人や比丘尼たちの


集合地であったのだろう


(通常、山岳修験は女人禁制であった)


古くは、

“胎養寺”と当てたのも頷ける。





中世からその後の秩父域は、


浮世に背を向けた、世間から疎外された

中央集権から逃れてきた辺縁の


漂泊者らが肩を寄せ合うような


一大集会場のような巡礼地として機能したのであろう。



もっとも、女人高野として

女性が自由に参拝できることを

目当てにした輩も

はるか昔から居たであろうことを

作者である一九は

知っていたかもしれない。




2026-03-08

“世にも奇妙な” 大血川 7



大血川(おおちがわ)を

大蛇川(おろちがわ)とする

伝えがある。




集落をつなぐ


川をさかのぼると


水源に至る



そこに大神(大蛇)を祀り


祖神と交わる


交感する者として



豪雨、氾濫、洪水、大雪‥


水ノ神が暴れるを


鎮めるが統治者の役目であった



大血川 洪水時



太古から

水にまつわる神性のシンボルは


しばしば

龍(辰)や、

蛇(巳)に見立てられる



古代中国神話より 伏義と女媧(釣りと楽器の水神)



辰+巳=巽=東南方位であり


妙法ヶ岳より見た大血川も

東南側に位置する



古くは山岳修験者の多くが


大血川に沿って



大陽寺ー(妙法ヶ岳)ー三峯社ー(雲採山)



をめざしたとされる。



妙法ヶ岳ー大血川の位置関係


(また、東南方位は秩父神社と武甲山との位置関係でもある)



秩父神社ー武甲(神体)山


(旧暦)春秋二期を貫く信仰軸には



【土用】


・蛇が土中から再生する(冬眠から醒める)


・死んで土中に入る(冬眠に入る)



つまり


人が、家を抜け出し


【山に登り】、一祭礼に参じ


【山を降り】、家路に着くまで



まるで


自然のサイクルと節目に併せた


人間の通過儀礼を


“脱皮”に準えたかのようでもある‥



大血川谷の蝮蛇 ♀



家という平地


日常世界の平面から



縦軸の垂直方位へと


山を登る行為じたいが



個人の信仰に奥行きを与え


立体的な世界観を得るが為のものだったのかもしれない。




そして、


この閉塞な山塊で暮らすには


自然の律動を回転運動するがごとく


毎年の春夏秋冬をやり抜いたにちがいない







“Je parle avec mon corps, et ceci sans le savoir. Je dis donc toujours plus que je n'en sais. ”

ー常にあなたが知ってる以上のことを、あなたの身体は話す。



ワタシの家の主人は

ワタシでなく


コトバとコトバの隙間に

ワタクシという
遠近世界 perspectiveが


そこ、神の隠れ家‥