日原地方にも
“ひげそう” についての口碑が残る。
日原部落にて
杵で餅ひく音を煙たがられ
トヲリ谷を通り
大血川へ遷られた、との事。
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| 大日向山大陽寺 東國女高野 髭僧大師の図 |
仮に、日原〜大血川へ踰す山路が
つけられていたのだとすれば‥
「酉」(とり)は、“通り”を表し
酉谷ノ峰=トヲリ谷ノ峰
ということになろう。
『郡村誌』をみれば
昔の日原から秩父郡への道は
浅間峠(仙元:せんげん)一本とある。
しかし、秩父浦山村へ踰すより
小川谷鍾乳洞から
クラボネ坂へ抜け
タワ尾根にからんで
トヲリ谷から
酉谷山頸部に登り
半転して大血川へ
降りていくルートはあり得る。
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| 日原ー酉谷峠ー大血川峠 |
この道は、
たとえば栃本関所にみるような
四万十帯に被るなだらかな往還路の類いではない
https://www.chichibu-geo.com/geosite/bunka05/
むしろ、
仏像構造線(BTL:仏像-糸川線)を
沿い上がっていく様な険しきルートである
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| 日原域 地層図 |
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| 仏像構造線 |
そこには、
将門一党であれ
源平残党であれ
山行の徒であれ
隠遁、隠道、隠里
どれも峠の表に現れてこない
漂泊者の影の側面がある。
Der Wanderer und sein Schatten
“そなたは
来らざるをえない者の
影として
歩まねばならぬ‥‥”




